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卒業生の声(システム情報工学)

2003年度現在

山崎弘郎 (1956年卒業,現 横河総合研究所 代表取締役 会長)

山崎弘郎

 私が計測の道を志したきっかけは恩師の磯部先生の講義でした。 40年以上も前の話です。しかし、今でも、その選択は正しかったと私は思っています。この40年の間に計測技術は大きく変化しました。対象を検出し、正確に量的な記述ができれば良いとされた時代から、対象の状態を正しく認識する事に重点がシフトしつつあります。正しい認識がそれに続く適切な行動につながるからです。

 私は、自分のアイデアで計測機器を創り出したくて横河電機に就職しました。当時は日本の産業が高度成長の時代でした。10年ぐらいは夢中で仕事をして、面白かったし、それなりの成果を上げることが出来ました。高度成長のひずみが公害や環境破壊をひきおこし、そして石油危機。技術は何のためにあるのかと醒めた目で見られるようになった時期に、私も迷いましたが東大に戻りました。そして、計測に進む動機となった磯部先生の講座を引き継ぎ、原点に戻ったつもりで研究と教育に従事することになりました。1975年のことです。大学では、優れた同僚と学生達のおかげで知能化センサや信号処理などについて成果を上げることが出来ました。しかし、何よりうれしかったのは、自分で見つけた道を確信しつつ学び、卒業後幅広く、かつすばらしい活躍をする学生達に出会えたことでした。この間に計測技術の進歩と浸透は著しく、社会全体の基盤技術となりました。反面計測のアイデンテテイが見えにくくなったことは事実です。1993に年東大を定年退官し、再び横河電機に呼ばれて技術を見ることになりました。私が大学にいる間に高度成長は終りましたが、国際化が進み、以前に私が開発した渦流量計は国際商品となり、アメリカやドイツの工場でも作られているのを見て感慨無量でした。

 20世紀は物理の世紀でした。21世紀は生命の時代になり、遺伝子情報が解読され、生命の機構が明らかになることでしょう。そこで、正しく対象を認識する新しい計測技術が今までとは違う形で要求されるばかりか、それが、次の行動を導く指針となり、知識を形成します。そして獲得した知識が計測技術をさらに豊かにするでしょう。今、計測技術は実り多い発展のために大きな革新が期待されていると思います。


池田思朗 (1991年卒業,現 九州工業大学大学院生命体工学研究科 助教授

池田思朗

 結婚し,彼女の友人に会うことがある.研究者という職業が興味を引くのか,研究所という響きや脳研究というフレーズが怪しげな想像を与えるのか,それとも愛想で言っているのか分からないが「どういったことを研究しているんですか?」と尋ねられることが多い.

 大抵はお酒の入った席だから,詳しい説明が欲しいわけではない.一言「こんなことをしている」と説明すれば「ふーん」といい,運がよければ「なんだかすごそうね」くらいつけてもらえる.しかし,一言で的を得るような言葉を見付けるのは難しい.

 こういったことは,計数工学科にいたときから体験していたように思う.当時も,初対面で,特に工学部と無縁な人に「ケイスウ工学科って何をしているところ?」と聞かれることがあった.信号処理,生体計測,並列コンピュータ,ロボット工学,制御,統計,カオス...キーワードを並べるだけでも一言とは言い難い.

 様々な興味を持つ人が,お互いを特に気にせず,それぞれの興味のままに研究できることが計数工学科の特徴なのだから,これは当然の結果である.かえって一言で言い表せないことが,この学科を良く表現している.計数工学科では,世の中には様々な面白い研究があることを学び,他人に自分の研究がどう面白いのか説明することで,自分の問題意識を新たにできた.現在の研究にとって,これは有益であったと思う.

 現在,私は脳を対象とする生体信号処理や,音声処理などの研究している.脳という,機械とは違った特徴をもった情報処理システムは,まだ多くの部分が未知なままである.それを明らかにするために脳の信号を処理する,あるいは脳が行う情報処理に学び,学習能力を持った知的システムを構築することに私は興味がある.

 まわりには,生物,物理,化学,心理,医学,そして工学など様々なバックグラウンドを持つ研究者がいる.他の分野の研究者との交流によって興味が広がり,自分の研究についても深く考えるようになった.計数工学科に在籍していたころと同じである.


田中玲子 (1993年卒業,現慶応義塾大学理工学部物理情報工学科 助手)

 6号館の正面玄関の階段に立ち、まっすぐに前をみると、真っ青な空に大きな銀杏の木が映えている。4月、新しく計数工学科の仲間入りをする学部3年生、大学院1年生は、この階段での記念撮影から新しい生活をスタートする。そして、3月、また同じ場所で卒業・修了の記念撮影をし、新しい活躍場所へと旅立っていく。

 ちょうど2年前に6回目の記念撮影を終え、7年間を過ごした計数工学科から、現在の職場へと移った。ここ慶應義塾大学物理情報工学科では、「ミクロからマクロまで」というキャッチフレーズのもと、物質現象、生命生体現象など広く自然現象を「情報」という視点で捉えて認識し、応用することを目指している。したがって、スタッフの研究分野も、物性、生体、計測、数理と幅広い。

 計数工学科での学部時代を振り返ると、私自身も量子力学などを含む幅広い分野の講義を受けてきたことが思い出される。個々の講義が具体的にどの程度身についたかはともかく、講義や実験を通じて様々な知的シャワーを色々な角度から浴びていたと思う。環境から、知らないうちに肌で感じていたものは、何年か経ってみるといつの間にか染み込んでいるようだ。知らない分野への好奇心は、このような環境に由来しているのかもしれない。

 広い分野への好奇心の底流には、例えば何らかの普遍性を求める気持ちがあるだろう。「哲学」とも言えるかもしれない。このような普遍性を感じる「感性」や「センス」もまた、このような環境の中で芽生えていくのだと思う。

 名著といわれる本を眺めていると、著者が計数の卒業生であることを見つけ、感激することがある。ただ同じ場所で勉強でき、講義が受けられるというだけで、何ものにも代え難い励みになるものである。学生時代には、どんなに貴重な講義であるかを知らず、平気で講義をさぼっていたことが、今になって本当に悔やまれる。


穴吹まほろ (1996年卒業,現 エム・アールシステム研究所 研究員)

穴吹まほろ

 計数工学科の特徴ってなんだったかなと考えてみると,「一人でなかった」ことかなと思う.実験は二人組だったし,演習の時は6,7人のチーム対抗でロボットを作ってた.卒論も二人で一つのテーマで,時には助け合い,時に足を引っ張りながら,二人三脚で進んでいったのを思い出す.

 4年の時には,みんなで五月祭にも参加した.それぞれの知識や実力はたかが知れていたけれど,愛想のいい奴が院生に回路をつくってもらったり,お祭り好きな奴が賢い仲間や面倒見のいい教授を巻き込んだりして,終わってみたらなんだか知的そうな展示になっていた.一人一人の実力を越えた結果に,大いなる自信と喜びを感じたのを覚えている.仲間の中には,この五月祭で取り組んだ音声認識や光学などに魅せられて,その後の進路を決めた奴もいた.

 このように,良く言えば助け合いながら,悪く言えば他人を頼りながらの毎日が,僕にとっての計数工学科だった.専門知識や研究技術など,ここで学んだことは多いけれど,その中で一番心に残っているのは,実験や五月祭を通じて知った,「自分一人でできることはわずかでも,仲間と支えあうことで大きな達成感が得られる」ということである.

 卒業してしばらくすると,うれしいニュースが飛び込んできた.僕らがやった五月祭の展示を見て計数進学を決めた後輩が,仲間と共に五月祭で展示を行うというのだ.僕らのつたない展示に何かを感じてくれたこともうれしく,僕らの後に続いてくれたこともうれしかった.

 一人ではないこと.これは計数工学科の大きな特徴だと思う.対象が大きくてなかなか一人では太刀打ちできない「計数」という学問を,仲間と助け合いながら,先生・先輩に厳しく指導されながら,そして後輩に何かを伝えながら研究していく.これが僕の考える,計数工学科の特徴である.